ひだまりラリアットLOVE

ひだまりラリアットを応援し続けるブログです。

春色スタッカート ♭3

 修学旅行を翌日に控えた私は、自分の部屋で荷物の準備をしていた。
 しおりを読み返していると、班行動の行き先のページに目が止まった。
「……お笑いのライブか」
 いったいどんなライブなんだろう?お笑いなどほとんど興味が無かったのに、少しワクワクしている自分がいることに驚いた。

 ――この前、増野くんが教室で見せてくれた動画は、若いお笑い芸人がコントをやっているものだった。
「これが今いちばんのオススメのネタなんだ。素人にも笑えるやつだから」
 動画の中では、男の人2人がコンビニの店員さんとお客さんの役になりきっていた。
 店員さんの役の人がおかしな応対ばかりして、お客さん役の人がそれにつっこむという流れだった。
 すごいスピードで繰り返されるボケとつっこみ。
 あまりのテンポの良さに、思わずクスッと笑ってしまった。
「おぉ!そこに気づくか!」
「えっ?」
「今のボケ、最高だよな!」
 増野くんが急に嬉しそうな顔をした。教室の中では見たことがないような笑顔だった。
 正直どこが最高なのかはよくわからなかったけど、笑えたのは確かだった。
「えっと…、えっと…、お、お前。いいセンスしてるぞ」
 お前じゃなくて小山内です。と言おうとしたけど、よほど嬉しかったのか、増野くんはすでに別の動画を再生し始めていた。
 ――増野くんはそのあと、私に20本以上も動画を見せ続けた。
 最後の方は入ってくる情報の量についていけなくなって、少しぐったりしてしまった。
 増野くんは、そんな私の体調などそっちのけで、とめどなく喋り続けていた。
 教室の外はすっかり暗くなっていた。
「私、そろそろ帰らないと……」
「あぁそうか。もっといろいろ見せたいのに残念だな」
「もっと……」
「また動画見たくなったらいつでも言ってくれよ」
「……うん。見たくなったらね」
 本音を言うとあまり乗り気ではなかった。そんな気配を察したのか、増野くんの熱量がわずかに上がった。
「絶対見たくなるって!だってお笑いっていうのは……」
 増野くんの次の一言が、私の心に深く刺さった。
「お笑いっていうのは、人を笑わせるためだけにあるんじゃない」
「……?」
「人を幸せにするためにあるんだ」
 ……お笑いが人を幸せにする?……そんなこと考えたことも無かった。
 「幸せ」は自分の努力だけで得るものだと思っていた。
 そっか。幸せは他人から与えられることもあるのか……。
「オレ知ってるぞ」
「……何を?」
「お前、教室でほとんど笑ってないだろう」
「なんで……」
「笑いたくなったら、いつでも声かけてくれよ」
 増野くんはそう言って、カバンを持って教室から出ていった。
 私はその後ろ姿を見て立ち尽くしていた。

 そう言えば、最後に心から笑ったのはいつだったかな……
 クラスメイトの話に愛想笑いはしてるけど、心の底から笑ったのは、いつだったか思い出せない。
 増野くんはどうして私が笑えていないことに気づいたんだろう。
 自分が笑いが好きだから、他人が笑えていないことにも敏感なのかな?

 ――そんな笑えない私だからこそ「お笑いライブ」というものに期待してしまう。

 一緒に動画を見ている時、増野くんは「ライブには動画じゃ伝わらないものがある」って言ってた。
 そもそも私は「ライブ」というものをほとんど見たことがない。
 見たことがあるのは、夏祭りに来ていた名前の知らないアイドルのステージぐらいだろうか。
 なんか知らない曲ばっかりだったし、ちょっと年上ぐらいのお姉さんが頑張ってるな……ぐらいしか感想が無かった。
 そんなライブ初心者が「お笑いライブ」を見たら、何を感じるんだろう?

 修学旅行の荷物を準備し終えた私は、ベッドに横になり、枕元の目覚まし時計をセットした。
「人を幸せにする……か」
 本当に「お笑い」にそんな力があるのだろうか?
「私にも届くのかな……」
 心が揺れない私を揺さぶることができるのだろうか?
 期待するだけ無駄なのか?何も感じず終わるのか?
 ただの修学旅行に私は何を期待し、望んでいるんだろう。
 ぐるぐると考えがめぐるうちに、いつしか眠りについていた。

 ――そして、私の人生を大きく変えることになる修学旅行の日がやってきた。

アイドルは本当は強いんです! ~ひだまりラリアット プロレスはじめました~【第1話】その10

 後頭部にドロップキックを受けた小林咲彩は、リング上に倒れたままだった。
 ベテランレスラーは次のターゲットを南海ナルに決めたのか、距離を測りながらジリジリと近づいてくる。
 その間に、控室から飛び出してきた若手レスラーたちが、リングサイドを囲んでいた。
「何気にピンチだなぁ」
 南海ナルは少しだけ焦った表情を見せてつぶやいた。
 距離を詰めてきたベテランレスラーの手が、南海ナルに届きそうになった次の瞬間。
 ――南海ナルは思わぬ行動に出た。
 ベテランレスラーの顔面に向けて、思いっきりマイクを投げつけたのだった。
「ボゴッ!ピーギー!」
 マイクは大きな打撃音とハウリングの音を立てて床に転がった。
 と、同時に、ベテランレスラーが前のめりになった。
「な、何だ!?」
 そのまま「ドシン!」と大きな音を立て、うつ伏せに倒れてしまった。
 ――南海ナルがマイクを投げた瞬間、後ろから小林咲彩が激しいタックルをかましていたのだった。
 小林咲彩は南海ナルにハイタッチをした。
「ナルちゃん、ナイスタイミング!」
「へへ、息ピッタリだね」
 実は南海ナルは、小林咲彩が倒れたフリをしているのを見抜いていた。
 そして、南海ナルに完全に注意が向くまで、時間を稼いでいたのだった。
 小林咲彩がうつ伏せのベテランレスラーの後頭部に足を乗せた。
「失礼します」
「さ、さやべぇ、そんなの言わなくていいから!」
 南海ナルも便乗して頭に足を乗せた。そして両手を上げ、手招きをして観客を煽っている。
 会場は再び怒号に包まれた。
「ねぇナルちゃん、私、アイドルだからでしょうか。相手の攻撃がぜんぜん効かないんです」
「へぇ、すごいね。アイドルは打撃無効の能力まで持っているんだ……」
 大ブーイングの嵐の中、怒りに燃えた若手レスラーたちがリングになだれ込んできた。
「さやべぇ、混戦になるよ!」
 小林咲彩と南海ナルが身構えた。
 と、その時。
「お前らは下がっていろ!」
 ベテランレスラーが立ち上がってきた。
「こいつはお前らの手に負える相手じゃない」
 若手レスラーと小林咲彩の間に割って入ってきた。
「お前らは下で見ていろ!」
 ベテランレスラーの一喝で、若手レスラーたちはリング下に降りた。
「ナルちゃん、なんか私、この方から強キャラ認定されちゃってるみたいです」
「まぁこんだけの若手を相手にするの大変だから、トップを潰しちゃえば、みんな黙るんじゃない?」
「確かにそうですね」
 南海ナルもマイクを拾ってリング下に降りた。
 リング上は、ベテランレスラーと小林咲彩の2人だけになった。
 ベテランレスラーは低く構えて、小林咲彩に向けて両手を伸ばしてきた。
「……お前、何者だ?」
 小林咲彩も手を伸ばし、答えた。
「私は……アイドルです!」
 ――言い終えた瞬間、試合開始を告げるゴングが鳴り響いた。

――つづく

ひだまりデイドリーム 5両目 今度ご飯行きましょう

 ノリノリささのり~!今日も総武線に乗って頑張るのり~!

 アイドルグループ「ひだまりラリアット」の“清楚キャラ”こと、船橋出身の佐々木のりこです。
 略して「ささのり」です。

 この業界にいるとスタッフさんやアイドル仲間から「今度ご飯行きましょう」と言われることが多くあります。
 そう言われた時に返すコメントとして正解なのは「ぜひぜひ!」なのですが、これはあくまでも同意の意思を示しているだけで「それ以上踏み込むのはお互いやめとこうぜ」という暗黙のルールがあります。
 もし「それじゃいつにしますか?」なんて具体的な日程を決めようとした日には「えっ?マジで?」みたいな渋い顔をされてしまうことは想像に難くありません。
 つまり、社交辞令であることをわかった上で、お互いに「嫌いじゃないですよ」という意思を確認しあっているだけなんです。

 ところが、私は“清楚キャラ”。
 もし男性スタッフさんに「今度ご飯行きましょう」と言われて、「ぜひぜひ」なんてホイホイ返事をしてしまうようでは、清楚とはとても言い難いです。
 では、どう答えるのが正解なのでしょうか?考えてみました。

 「あはは~何言ってるんですか~」
 これは不正解です。万が一「いやオレ本気なんだけど」とか言われちゃったら、きっとほっぺが赤くなって清楚キャラ崩壊です。

 「ナシ寄りのナシです」
 これも不正解です。というか人として不正解です。完全に拒絶してますよね。バッサリ斬り過ぎです。

 「……」
 いわゆる無視ですね。もちろんこれも不正解です。クールキャラならありですが、清楚とクールは全く違います。あくまでも礼節を保っていないと、清楚を名乗る資格はありません。

 いろいろ考えた結果、私がたどり着いた結論は……
 「うふふ」ですかね。
 本当は絶対に嫌なんだけど、肯定も否定もしない。
 それでいて笑顔を見せることで、嫌っていませんよと匂わせることもできる。
 清楚キャラにピッタリの都合のいい……じゃなくて素敵な言葉ですね。
 「うふふ」

秋葉原秋葉原~」
 あー、ご飯の話してたら、なんかお腹空いてきちゃいました。
 秋葉原のC&Cでチキンカツカレーでも食べようっと。
 それじゃ!ささのりまたのり~!!

春色スタッカート ♭2

 その日の放課後、私は日直の仕事を終えたことを先生に報告してから教室に戻った。
 静まり返った教室。生徒はみな部活に行ったり帰宅したりと、一人も残っていなかった。
 ところが教室の中をよく見てみると、一人だけ、私の席の近くの男子が机に突っ伏して寝ていた。
 私はその男子のそばに行って、顔を覗き込んだ。
 ――そこで寝ていたのは、あの増野くんだった。
 イヤホンをしたまま寝ていたため、まわりの音に気付かずに寝続けていたのかもしれない。
「どうしよう……」
 こういう時、声をかけた方がいいのか、起こさない方がいいのか、私にはわからなかった。
 私自身は無理やり起こされるのはすごく嫌だ。自然に目が覚めるのがいちばんいい。だからと言って、他の子もそうなのかわからない。
 しばらく戸惑っていると、増野くんが「ううん」と唸りながら顔を横に向けた。
 すると、そのタイミングで増野くんの片耳からイヤホンが外れた。
 そのイヤホンから、かすかに人の声が漏れ聞こえてきた。
(あれ?この音、もしかして、増野くんがいつも見ている動画の音かな?)
 ――少し興味を持ってしまった。
 これが正しかったのか、間違っていたのか、今でもわからない。

 私はイヤホンから漏れ聞こえる音を拾おうと、耳を澄ませた。
 わずかに聞こえる会話らしきやりとりと、お客さんからのような笑い声。
 それがテンポよく繰り返され、自然と笑いを誘ってきた。
 きっとこの音は、増野くんのスマホで流れている動画の音なんだろう。
 私はこの笑い声を聞いて、どうしても動画を見たくなってしまった。
 
 パッと見た感じでは、スマホは机の上には置かれていないようだった。
 突っ伏して寝ている顔の下にも置かれていないように見える。
 そうなると机の中か、カバンの中、もしくはポケットの中のどこかにあるのだろう。
 私は増野くんがまだ眠っているのを確認してから、大胆にも机の中とカバンの中を探りはじめた。
(こんなところ、誰かに見つかったら大変だ)
 でも、なぜかその手を止めることができなかった。
 小さく聞こえてくる楽しそうな笑い声は、どうしようもなく私の心を揺さぶっていた。

 結局、机の中にも、カバンの中にも、スマホは見つからなかった。
(あとはポケットの中か……)
 さすがにここは抵抗がある。
 夏服への衣替えが終わったばかりなので、上着にはワイシャツの胸ポケットしかない。ところがそこには何も入っていなかった。
(うーん、この展開は……)
 そう、残っているのはズボンのポケットだけだ。
 前に二つ。後ろに二つ。
 このどちらかにあるに違いない。
 私はほんの僅かな希望に賭けて、後ろのポケットをそっと指先で開いてみた。
 右後ろのポケットにも、左後ろのポケットにも無かった。
(あー、やっぱりそうなるか……)
 ズボンの前ポケットのどちらかにあるのが確実となってしまった。
 ――私は意を決して、前のポケットに手を突っ込んだ。

「誰!お前!何!?痴漢!?」
 とつぜん増野くんが目を覚まして飛び上がった。
「だよね……」
「何なんだよお前!誰だよ!」
 立ち上がって後ずさりした増野くんに、正直に告げることにした。
「寝てたでしょ。増野くんのイヤホンから音が聞こえてきて、なんか楽しそうだなと思って」
「えっ?あれ、聞こえたのか?」
「うん、笑い声が気になって、どこから流れているのかなって……」
「それでポケットを……」
 増野くんはそうつぶやくと、再び椅子に座ってポケットからスマホを取り出した。
 そして何やら操作をし始めた。
「気になるなら見てみる?」
 増野くんはスマホの画面を私に向けて、ニヤリと笑った。

アイドルは本当は強いんです! ~ひだまりラリアット プロレスはじめました~【第1話】その9

「さやべぇ!後ろ!」
 南海ナルの声に振り向いた小林咲彩だが、ほんの数秒、タイミングが遅かった。
 激怒した若手のホープは、パイプ椅子で小林咲彩の頭を強打した。
 バコンという不快な音を立て、パイプ椅子が頭にめり込んだ。
「さ、さやべぇ!」
 いつもマイペースな南海ナルですら絶叫するほどの衝撃が会場中に広がった。
 ところが、小林咲彩は仁王立ちしたまま、身動きひとつしなかった。
「もしかして、さやべぇ、気絶……」
 若手のホープは、さらにパイプ椅子で、お腹や背中など、様々なところを攻撃してきた。
 それでも小林咲彩は微動だにしない。
「さやべぇ!さやべぇ!」
 思わず南海ナルが駆け寄ろうとした、その時!
 小林咲彩が若手のホープ首相撲に捉え、強烈な膝蹴りを叩き込んだ。
 顎に入ってしまった若手のホープは、白目をむいて失神してしまった。
「ふぅ~、護身術やっててよかったです」
 小林咲彩が「へへっ」と笑った。
「なんか、ぜんぜん痛くなかったです。アイドルって体も丈夫なんですね」
 南海ナルは驚きのあまり、口をあんぐり開けていた。
「あんなに殴打されていたのに、痛くないの?」
「はい、逆に気持ちよかったです」
「なんか、変なドーパミンだかアドレナリンだか出てるんじゃない?」
「そうですね、強いて言えば、『アイドルレナリン』でしょうか?」
「おっ!それいいね!私も使わせてもらうよ!」
 とても敵地のリング下とは思えない、のんきな会話をしていると、団体の若手レスラーたちが控室から花道へ飛び出してくるのが見えた。
「さやべぇ、リングに上がろう!私たちの勝利を宣言するよ!」
「は、はい」
 南海ナルはマイクを手に、小林咲彩は堂々と、優雅にリングに上がった。
「ふむふむ、ここから見ると、また絶景ですね」
 小林咲彩はリングの上から会場を見回した。
 リングの上には激怒した観客達が投げ込んだペットボトルやゴミなど、様々なものが散らばっている。
「こりゃ大歓迎だね」
「お掃除大変ですね」
 もうすぐリング上に団体の若手レスラーたちが上がってくる。
 2人が覚悟を決め、全員を迎え撃とうとした瞬間……
「えっ!」
 小林咲彩は後頭部にドロップキックを浴びせられ、大きく吹き飛ばされた。
 ――ドロップキックを放った相手は、息を吹き返していたベテランレスラーだった。

――つづく

ひだまりデイドリーム 4両目 バスタオル

 ノリノリささのり~!今日も総武線に乗って頑張るのり~!

 アイドルグループ「ひだまりラリアット」の“清楚キャラ”こと、船橋出身の佐々木のりこです。
 略して「ささのり」です。

 自ら「ノリノリ」と宣言するくらい毎日ノリノリの私ですが、すごく悩んでいることがあるんです。
 その悩みというのが……「バスタオルを洗うタイミング」なんです。

 清楚キャラを名乗る以上、一回使うごとに洗うべきなのかと思うのですが、生来貧乏性な気質なので、水道代や電気代、洗剤代のことを考えると、一回使っただけで洗うのは許しがたい行為なんです。
 では、自分の中でどこまで許せるのか考えてみたんですが、フェイスタオルの場合は一回で洗濯しないとダメかなと思います。
 そうなろと、バスタオルの場合は、大きさ的にフェイスタオルの四倍はありますよね。
 つまり四回は確実に使えるのではないかと。
 さらにバスタオルの方がフェイスタオルよりも厚みがあるように感じます。
 バスタオルの厚さがフェイスタオルの二倍だとすると、掛け算して八回は使用できるのではないでしょうか?

 結論として、出勤前と帰宅後の二回お風呂に入るとして、四日間は使える計算です。
 しかも四日目を迎える頃には、一日目の分はすでに乾いているはずなので、このローテーションでいけば、一生バスタオルを洗わないで済むのではないでしょうか?
 そっか……改めて考えてみると、バスタオルを洗う必要なんて無かったんですね!

 えっ?何度も使っているうちに、バスタオルに垢や汚れが溜まっていくんじゃないかって?
 何言ってるんですか!アイドルは垢なんて出ませんよ。

秋葉原秋葉原~」
 ノリノリ乗り換えです!
 それじゃ!ささのりまたのり~!!

春色スタッカート ♭1

 何から話したらいいかな……
 ……やっぱり六年前のあの日から始めるのがいいかも。

 それじゃ巻き戻すよ。春色に輝いていたあの日へ――


 ――窓際のいちばん後ろの席に座っていたりしたら、まだ物語の主人公に見えたのかもしれない。
 でも私の席は、廊下側の真ん中。
 目立つわけでもなく、誰かの視線を感じるわけでもない。
 席替えで決まった席は、まるで主役になれない私の存在を象徴しているかのような席だった。

 中学三年の一学期も半ばを過ぎた。
 先生は「受験に向けてスタートダッシュを決める時期だぞ!」なんて言ってたけど、四月と五月を過ぎてもそんな実感は無かった。
 「受験」なんて言葉は、まだ現実味のない遠い世界の話のようだ。
 何の取り柄もない私は、家から一番近い普通の公立高校に行くことになるだろう。
 そして平凡な高校生活を送って、何事もなく卒業して、地元の企業に就職して、二十五歳ぐらいで職場結婚かな。
 私の未来はそんな感じだろう。

 今は六月の頭。今週末、私たち三年生は修学旅行に行くことになっている。
 青森の中学校の修学旅行先といえば、東京に行くことが多い。
 もちろん私たちの中学校も、東京に行くことになっている。

 テレビの中でしか見たことが無い東京。
 青森からほとんど出ない私にとっては、本当に存在するのかよくわからない、頭の中にある遊園地のような場所だ。
 ま、せっかくの機会だから、一生に一度くらいは見ておいても良いかもしれない。

 席替えと共に、班も変わった。
 修学旅行の班行動は、この新しい班で行かなくてはいけない。
 新しい班には、親しい友人は一人もいなかった。
 私はクラスメイトとは全く話さないわけではないけれど、これと言った特定の仲良しもいない。
 まぁそれはそうだろう。いつも席で本を読んでいる私と仲良くなろうなんていう物好きはいない。
 かといって、別にみんなから嫌われているわけでもないし、みんなを嫌っているわけでもない。
 とにかく「無」。風景の一部。それが私の存在だった。

 その日の学級活動では、班ごとに分かれて、修学旅行に向けての話し合いが行われていた。
 この話し合いで、修学旅行の班行動の時間に訪れる場所を決めることになっている。
「ねぇ、小山内さんは、どこか行きたいところある?」
 隣に座っていた女子――どうやら班長に選ばれたらしい女子が私に声をかけてきた。
「えっと……特に……」
「遠慮しないでいいからさ、せっかくだから希望を言ってね」
「それが……遠慮とかじゃなくて、本当に無いんです」
 私はそのまま口をつぐんだ。
 本当に、心の底から、行ってみたい場所が無かった。
 無理やり考えようとしたけど、何も浮かんでこなかった。
(あー、私って空っぽなんだな)
 話題はすでに班の他のメンバーの行きたい場所に移っていた。
 原宿、浅草、秋葉原、お台場……定番の観光スポットが次々と挙げられていた。

 最後にまだ希望を聞かれていない男子に順番が回ってきた。
 その男子のことは、私もよくわからない。
 彼は休み時間になると、いつもイヤホンをして、何か動画を見ている。
 クラスの女子たちは、一人でニヤニヤしている様子を見て「近寄りづらい」などと噂していた。
 班長は先生から言われた「全員の希望を聞く」というルールを守りたい義務感だけで、彼に話しかけた。
「ねぇ、増野くん、あなたは行きたいことろ無いの?」
 動画を止め、イヤホンを外した増野くんは、ぶっきらぼうに答えた。
「……オレは新宿ルミネに行きたいんだけど。……どうせみんなは行きたくないだろう」
 新宿ルミネ……そこに何があるのかよくわからなかった。なので行きたいも行きたくないも、何の感情も無かった。
 ところが、増野くんの言葉を聞いた班長は、笑顔になった。
「ねぇ増野くん、それいいじゃない!新宿ルミネってお笑いのライブをやっているところだよね」
 増野くんは一瞬「おっ?」という顔をしてから答えた。
「そうだよ」
「だよね、だよね!テレビに出てた誰かが言ってたもん」
 班長はさらに続けて「芸能人に確実に会えるじゃん!」と嬉しそうにはしゃいだ。その様子を見て、班のメンバーも続いた。
「へぇ~そうなんだ」
「面白そう!私も行きたいかも!」
 班のメンバーは皆、乗り気になったようだ。それを同意とみなしたのか、班長が何のリアクションも無かった私に最終確認をとった。
「小山内さんも、新宿ルミネをルートに入れてもいい?」
「……はい」
 正直お笑いのライブがどういうものなのかもよくわかってないけど、みんなが行きたいというなら、それはそれで面白い場所なんだろう。
 
 ――そう、この時の私は、このライブが私の人生を大きく変えることになるとは、まるで気づいていなかった。

 冬が終わり、春への扉が開かれようとしていた。